お金なんかいらん
むか~し、むかし。
家にお客が来ると、私と兄は色めき立った。
二人で、茶色いゴム製のふくろを持ってきて、そわそわしていた。
兄の友だちが来る。(わくわく)
あいさつする。(早く座れ!)
あぐらをかいて座る。(わくわく!!!)
ついに、おしりの下から「ぶぐっ」という、にぶい音がでる。
私と兄は、涙を流してわらう。
いつもいつも、お腹がやぶれるほどわらった。
このときだけ、二人は同盟を組んだ。
この茶色いふくろとは。。。ブーブークッションであった。
兄は6歳年上。
ヤツは学校を休んで、嬬恋村の拓郎コンサートにも行ったし、
ショーケンのファンで、牛乳を飲むときはいつも、
あぐっと、口でキャップを開けることも忘れなかった。
(母はこの兄の「習慣」をいつも嘆いていた)
あたしは、ロッド・スチュワート、ケニー・ランキン、リタ・クーリッジなど、
兄のレコードをだまって拝借し、自分のカセットに入れたりした。
子どものくせに、ランキンの「After the roses」がお気に入りだった。
兄のエロ本もよく盗み見た。
そこで、ヨーコとキスをするジョン・レノンの最後の姿も見た。
あたしは「この二人は、ふたつに分かれた一人の人間みたいだ」と思った。
当時としては、大変にしゃれた女の子で、
まだ子どもだったあたしは、彼女のファッションに興味深々だった。
ある日、あたしは彼女のすてきな腕時計に眼がとまった。
「ねえ。これどこで買ったの?」
「これは、リチャードというお店で買ったのよ」
良子ちゃんはやさしくそう答えた。
写真はシンガーのフィオナ。良子ちゃんはこんな雰囲気だった。
あたしはさっそく、父親の会社に電話を入れた。
当時、父は「別宅」にばかり帰館し、ほとんど家にいなかったのだ。
あたしは父に厳然と命令を下した。
「リチャードに行って、この時計を買ってくるように!!」
当時、あたしはお小遣いというものをもらっていなかった。
「お金なんかいらない。いるときは言うから」という変な子どもだった。
それだけに親としては、たまに「お金がいる」と言われた日にゃあ、
相応のお小遣いを渡さないわけにはいかなかった。
何より、父には負い目があった。
「アバのレコード5枚買うから、12500円ちょうだい」などと、
当時のあたしは、平気で要求していたのだった。
数日後。
私は良子ちゃんと同じ、すてきな時計を手に入れた。
黒地に手描きの花もようが散った、舶来品(死語)だった。
今思えば、父がチャラチャラした舶来雑貨の店まで行き、
女ものの腕時計を一人で選んでいるようすは、
なんとも締まらない。
これは、うれしいような、哀しいような。。。
そんな思い出のひとつやな。