教養としてのピストルズ
最近はさ。
「教養としてのビートルズ」という本まであるらしいの。
「ロック」もインテリジェンスのひとつなんか。
なんや、ふに落ちん。。。
ほんなら「教養としてのピストルズ」ってのも、あっていいんかの。
じゃあ今日は、ぷくばあちゃんが、はなしたげよう。。。
よう聞くんやで。
むか~し、むかし。
彼らは「God save the Queen」のパロディ曲を歌って、
逮捕されたんじゃ。英国の情報機関からも監視されててな。
70年代じゃから「コンテンポラリー・ミュージック 破壊活動分子」
という名の、ぶあつ~い「極秘ファイル」があったんや。
当局にとっては、ほとんどテロリスト並みの扱いやった。
シド「俺にチャンスをくれ~」
パリのお母さん「危ないから近寄っちゃいけません」
SID VICIOUS * Take a chance on me * NEW VIDEO - YouTube
伝説のシド・ヴィシャス(ベーシスト)は、極度のヘロイン中毒でな。
1979年、21歳の若さで亡くなったんや。
恋人のナンシーのあとを追うようにしてな。
ヘロインの過剰摂取やった。
テキサス州ダラスのライブでは、禁断症状に打ち勝てず、
観客からクスリを投げてもらっておった。
シドは、カミソリで自分の胸に刻んだんや。
「クスリくれ!!」ってな。
血まみれの演奏やったそうじゃ。
ナンシーと暮らした NY のチェルシーホテルは、
今も「巡礼者」があとを絶たないことから、二人の部屋は取り壊されてな。
今じゃあ、ランドリールームになっとるそうじゃ。
シドは、ヤラカシ系の困り者じゃったが、
本当は気の小さい、礼儀正しいところもある若者やった。
シド「楽しいかって? 冗談だろ」
Sid Vicious' Final Interview - YouTube
このインタビューで、彼は青白い顔をしてるじゃろ。
まるでガラス細工みたいにな。
そして、本当に壊れてしまったんや。
彼はある意味、ずっと「子どもの心」で生きたかったんや。
年をとって「死んだような大人」になることを拒否しておった。
シドは、こうもいうている。
「自分のやりたい音楽だけをやりたい。
世界中の人から、それを拒否されてもかまわないんだ」
2006年にな。
ピストルズは「ロックの殿堂」入りを拒否したんや。
もちろん、史上初のできごとやった。
「殿堂」っていうけどな。。。あれもビッグ・ビジネスや。
理由はいわんとく。
ロック・アーチストが「勲章」もらって、涙ぐむのはエエけどな。
やっぱり、なんか「ちがう」って気がする。
まあ、ばあさんのグチやと思って聞き流してくれ。
じゃあ、今日はトン汁でも炊こかな。。。よっこらしょっとォ。